んちゃ
例によって中身のないやつなんですけど
カミュの『異邦人』っていう作品がありまして、第二次大戦の前か最中くらいのアルジェリアが舞台なんです。その作品がわりに好きで、どこが好きっていうと、ひとえに主人公のムルソーという男がどこか引っかかるんですね。
彼はまあまあ仕事でも優秀なやつで、友達も恋人もいてそれなりに恵まれてるんだけど、非常にどこか空っぽにみえる所があるの
なんていうか、彼は社会でふわっとあるものとされている概念、広い意味での愛というものを信じていないんです
例えば、恋人が結婚したいって言ったら、結婚しようかなんて思ってるんですけど、それは彼女にそう言われて自分でも断る理由がないからなのです。
ちょっと何言ってるか分かんないと思うんですけど
で、彼はフィアンセを連れて友達と浜へ遊びに行ったときに、アラブ人(現地の人ですね)と銃やナイフが出てくるような小競り合いになってしまって、一度は浜のコテージに戻ったの。
けれども、その後で再びそのアラブ人の一人と岩場で出くわしてしまって、ポケットに入ってた銃で彼を殺してしまったんです
これだけ書くと、報復を恐れて撃ったとか、傷を負った友達への復讐とか動機と思われることが思い浮かぶと思うのですが、二部の裁判のくだりをみてから、もう一度そのシーンを読むと、どう考えてもそうではないように思われるのですよ
彼はその時熱中症になる寸前で、岩場の影に入りたかったから
それがもっともらしい答えにみえる
そういうふうに読めるのです
彼はその時その時の欲望に忠実で、ふわっとした愛(裁判のくだりであるように神みたいなものも含む)みたいなものが信じられないというか、そもそも全く理解が出来ないタイプの人間なんです
彼は最後の最後でそれを証明するかのように、神の愛を説く教誨師に食って掛かるんです
一見すると、神やイデオロギーではなく実存主義みたいな「今・ここに・自分が」いることが一番確かなことだということに重きをおくある意味近代人のようなの。
でも、そうではなくて、自分の死期を悟ったときに浮かんだ欲望、神の愛を自分に呑み込まないみたいなことに重きを置いているのだとおいらは思うのですよ。
まあ、解説の受け売りなのですが
いすれにせよ、それが恋人との関係を微妙にしたり、挙げ句の果てには裁判で心象が悪くなって死刑になってしまうのです
なぜ彼がそんなに引っかかるのかよく分からないのだけれど、一つだけ言えるとすれば、彼を通して人間の不思議を描いている気がするのです
さて、創作の案の話になるのだけれど、今考えているソ連が舞台の話の主人公をそんな人物にしたいなと思っていて、女ムルソーみたいのを書いてみたいと思います
彼女は(今の所)作中では殺さない予定ですが、彼女に何らかの情を抱く人が破滅していく様など書いたら面白いかもしれない
詳しく書くと創作できないからあれだけど、例えばある若い女性が幼馴染と偽装結婚をしていて、一応同じフルシチョフカの部屋に住んでいるのだけれど、夜になると彼は愛人の家に遊びに行っちゃうし、彼女は彼女で部屋をカップルに貸し出して小遣い(生活費かな)を稼ぐ。
で、彼女に好意を持った女性がいて、それを知ってまあ、とても怒るんだけれど、当人は本当の所どう考えているのか分からない。彼女を好いた女性はそこに神秘性を感じて(なんでだよ)、ますます惹かれてしまう
みたいな
甘々ではないか
やれやれ
では寝ようかな
Пока пока