貨物200便の手記

考え中のことを書きつけています

論理について

さてさて。

 

 

今日もおいらしょうもないこと書いちゃうぞ~。

 

しょうもなさ過ぎてカスタムキャストで遊びながら書く。ほんとにもう

 

 

一応大学は出たのだけれど、論理的に書くという習慣がないため、てめぇの創作繕うのも一苦労だってんでい(ベンベン)

 

 

なんていうかさぁ

 

 

 

 

創作し始めて改めて思ったんだけど、世の物書きって本当にすごいなぁって。

 

いろんな作家さんがいるけど、やはり説明能力にたけているというか。

 

 

やはりSF やいわゆるラノベの文章である一定以上読まれているものってこれでもかってくらい親切に書かれている。

最初にあったであろう案と完成品を比べると石がごろごろしている原っぱと収穫間近の畑くらい違う。

 

 

えっ、たとえが分かりづらいって?

 

 

 

まぁ、こういうとこなんだ。おいら。

 

でも、畑ってすごいよ。土の柔らかさがまず「大自然」のそれとはぜんぜん違うし……

 

 

閑話休題

 

 

そこでなんていうか、論理的に説明する力が欠けていると思ったんですね。

 

 

ある風景が頭の中に浮かんできて、それをそのまま書いているというのが今のおいらなんですが、一見無関係に見える光景をあえて並べてみることで読み手に掻きたてられるものが生まれるという作り方もあるとは思う。

 

けれども、読み手にはいろいろな人がいて(育ってきた環境が違うからね)、それだと自分はこういうものを見せたいってのが上手く見せられないのではとようやく気がついたのですよ。

 

論理というものは水が高いところから低いところへ流れるように説明すればたいていの人には本当は分かるもののはず。

そう見えないことが往々にしてあるのは、知識やイデオロギー(その人がこうと思い込んでいること)に縛られているから。

 

だからこそ、読み手がどんな人なのか想像することで、その人たちの持つ知識や場合によってはイデオロギーを先取りして、出し方(説明の仕方)を考えることが出来る。

 

 

説明能力と言えば、おいらは村上春樹さんの作品が大好きなんだけど、あの人の説明能力はかなりすごいと思う。

 

例えば1Q84で登場人物の一人が主人公に日本の学生運動の流れをざっくり教えるくだりがあるんだけど、読んだ当時鼻垂れのジャリだったおいらにも読んでいてダレず、かつ(物語を頭に思い浮かべる上で)必要な所は充分で、あの部分(4-6月だったかしら)だけでも読む価値がある。

 

国語の成績を伸ばしたい日本のジャリボーイ/ジャリガールは図書館の端末で検索検索ぅう。

 

いや、マジで。すごいから。

 

 

 

 

えぇっとなんだっけ?

 

 

最後にここまで書いていてあれだけれど、論理だけでは取りこぼしてしまうこともたくさんある。

 

いわゆるディテールみたいなものだ。

 

 

 

これは、説明のブロック(と便宜的に呼ぶ)のちょっとした組み合わせ方やつなぎ方(つまり直喩や暗喩と言われるものも含む)などかしら。

 

 

 

読んでいて気がついたら知らない地平に飛ばされていた、みたいな感覚の文。ある部分まで読んでしまってからその物語を振り返ったときにどうしてそうなったのかすぐには分からなくなっているという感覚に陥る文章はとても優れていると思う(てめぇの読解力がないからだろ、なんて言わないで。泣いちゃう)。

 

 

論理は大事だけどそれだけではただの説明で物語には足りない。

 

そんな駄文でした。

 

 

Пока пока